世の中には、
いろいろな「幸福度」のはかり方というものが出回っています。
「幸福度」とは、
「生活の満足度」だったり。
「感情的な幸せ」だったりします。
「生活の満足度」は経済状態で変わることが多いですが、
「感情的な幸せ」は大きく主観にたよるものです。
だから、
「本人の気持ちしだい」で変わります。
この記事を読むと…
・今のあなたの「幸福度」がわかります。
Contents
教師の「幸福度」をはかる方法
結論から書きます。
自分にとって、
普遍的な、ひとつの「幸福度のはかり方」があります。
「幸福度」測定法
仕事や家庭、
以外のシチュエーションの中、
自分と「利害関係のまったくない人やもの」に。
「ありがとう」と自然にポンッと言えているとき。
そんなとき、
と感じます。
仕事では「感謝の気持ち」は、わりと自然に出ます。
家庭でも助けられると、別段、親子関係なく自然に出るでしょう。
というか、
普段の人との関係の中で、
つながりのある人と良好な関係のときは、
「ありがとう」は自然に出ます。
でも、その他の場面です。
どうでしょうか。
つまり、
「つながりが無い人」と接する場面です。
ほとんど言えることがないんじゃ。
そもそも、
そんなことを考えることも、少ないように思います。
頭のなかは、
歩きながらも「仕事」や、
今日明日あれこれ「やらなければならぬ」のことがいっぱい駆け巡っています。
「あれして、これして。あれも先にしとかないと。」
そんな日々に追われていると
「感情的な幸福度」を忘れて過ごします。
そうなると、
「感情的な幸福度」に気づかずに生きていくことになります。
実は、
教師というのは、
夏休みになると「感情的な幸福度」が高まります。
たぶん、
想像していることと少しちがうはずです。
これは、
っていう気持ちの「幸福度」ではありません。
まあ、もちろん、それもゼロではないんじゃが。
ここでは、
そんな表面的なことではありません。
どちらかというと、
「普段見えてないものが、見えるようになる」
これが、とても喜ばしく感じるんです。
普段「見えないものが見える」ということ
たとえば「道に咲く花」
心がほっと豊かになるのお。
ありがたいありがたい。
たとえば「空の色」
吸い込まれそうな色じゃ。
お天道様ありがとう。
たとえば「エアコンの風」や
ワシは、慎重に温度を設定する。
寒すぎず、暑すぎず。これが「快適」ってもんじゃ。
微妙なさじ加減をしてくれて、ありがとうの。
たとえば「自転車の風」でも
それは皆じゃろう。
でも、ワシは自転車が風を切って進むのもわりと好きじゃ。
顔に当たる夏の熱風。
でも、こぐとこくだけ、涼しい。
ありがとう自転車と夏の風。
たとえば「公園のベンチ」にも
ワシに憩いのひと時をありがとう。
水筒のお茶でも飲んで、一息つける。
あゝ、雲が早い。
流れちょるのお。
空は風が吹いておるんじゃの。
あゝ、その下で子どもが野球をしておる。
必死じゃ。
野球観戦までさせてくれてありがとうのお。
などなど。
こんなことに気づけるときは
「感情的な幸福度」が高まっている。
と感じます。
これは、ぼくにとって、普段の生活では、きわめて封印されている感情です。
いつもあるはずなのに、見えない。
見えていないのです。
夏休みのように長期的な休みになると、
実に「人らしさ」を思い出させてくれます。
そして、
年をとるごとに「目に見えないものがたくさん見える」ようになってくる感じがします。
これは年をとることの一番の良さかも知れないと感じています。
若い頃には見えなかった
感じなかった。
思うこともなかったことが。
どんどん心に浮かんできます。
あふれる泉のように心がぷるぷるに潤い、
まわりの生命力を「感受」し、生きることを「浴び」続けている感じがしてきます。
〈人生を楽しむための考え方は〉
夏休みあけのある日のこと
始業式の日です。
緑のおじさんが、横断歩道で交通整理をしていました。
今日からですか。
いつも見守りありがとうございます。
すっと口から出てきました。
自分でもびっくりしました。
いつもの「ありがとう」より
より自然で、快活な「ありがとう」
なんじゃ、ワシの口!
何言いよるんか。すげえじゃん。
教師の生活は、
じつに慌ただしく過ぎていきます。
1週間が、1時間くらいで過ぎていっているような感覚です。
それだけ慌ただしいものだったのか、と改めて思い。
夏休みの間に、
なんとも「心」を取り戻した!と感じた瞬間でした。
「逆のこと」も透き通るように見えてくる
というわけなんですが。
実は、「幸福度の高まり」は、
その逆のものにも目が向くようになります。
「感情的な幸福度」が高まっているはずなのに、
人間や社会の、汚れている部分が、目につくようにもなります。
これが、なかなかヘビーです。
ワシの潤いプルプルの心が渇いていきよります。
見たくないのに見える「汚れ」
▼人のことを見下している人。
▼人に責任を押し付けようとする人。
▼自慢ばかりで承認欲求があふれている人。
▼自分のワガママを通そうとする人。
▼自分だけ良かったらいい、自分に損害がくることは何とかして避けたい、
そんな感覚の人。人。人。
これらは、
相手の年齢に関係なく見えてしまいます。
見られている方の人間は、
と、したり顔かも知れません。
でも、
見ている人たちが何も言わないだけで、バレバレです。
まわりからは
と思われています。
相手の方が、自分よりも高尚な気持ちを持っていると、
いちいちその恥を指摘してはくれません。
汚さをもった当の本人だけは、
してやったりの思いかも知れませんが。
それで、
すでに、自分自身の人間性をおとしめ、人から見透かされ、
手に取るように、心中を図られています。
実に悲しくなります。
でも、
これが人の社会です。
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教師の「幸福度」をはかる方法 まとめ
「幸福度」をはかる方法。
それは、「心の余裕度」です。
今の自分には「心の余裕」があるだろうか。
あるとしたら、
外に目を向けることができます。
人をよく見ることができます。
人の発言から、心中を察することができるようになります。
でも、
「心の余裕度」が少ない場合。
なんとなく、変だ、理不尽だ、と感じつつも
時間に追われて、
「その場を忘れる」ということを究極の武器として、乗り越えようとしてしまいます。
「心の余裕」=「人生の幸福度を高める」
さらに、
「心の余裕」=「人の汚さが適正に見えてくる」
にもつながります。
人にとって、
どれだけ「心の余裕」が大切か。
「心の余裕」は、
大方、一人では作れません。
家族がいれば、なおのことです。
あなたは、今
目に見えないものが見えていますか。
見えているなら、あなたの「幸福度」は
抜群!
絶好調!
にちがいありません。
見えている人は、それだけで貴重な「心のバランス」を保っていることでしょう。
おしまい