教師は、収益性や企業規模を高めるわけではありません。
どうなれば、教師として「成功」したと言えるのでしょう。
出世して「校長」になることか。
教育委員会に入って行政視点で教育を見ることか。
立派な子どもをたくさん育てて、世に送り出すことか。
教科指導力をみがき、指導技術を社会に普及させることか。
ぼくは、どれもこれも教師としての成功者だと言えます。
そして、
「勤続〇十年!」なんてのも、教師としてのすごい成功者なんだなあ、と感じます。
さらに、
ぼく個人の結論として「教師の成功」だと言えることは、
「聖職者」として仕事にたずさわっているかどうかです。
Contents
教師の「成功」って何?【どこを目指せばいいの?】
【聖職者】とは 〔名〕僧侶や司祭など、宗教的に人を教え導く神聖な職に従事している人。また、教師にいうこともある。
精選版日本語大辞典より
教師としての、「精神的な構造」をつくり持つこと。
「聖職者」であることを意識することが、教師の成功、つまり目指すべきところです。
「聖職者」というのは、利益をあげたり、生産性を高めたりすることが仕事ではありません。
そのいちばんの仕事は「人を導くこと」にあります。
そこを目指し、成しえている教師が成功している教師だと言えるでしょう。
「激務」で「多忙」な教師が目指すところは
最近は、教師の仕事が忙しいと騒がれることが多いです。
たしかに、忙しい日も多いです。
期限に間に合うかどうかのギリギリでやっている仕事もあります。
でも、この「激務」「多忙」と考えたまま教師生活を過ごしていると、一生そのままかも知れません。
「激務」「多忙」である理由は、その教師自身の職務のとらえ方によっても変わるのかなと思います。
「多忙」はまだしも、「激務」っていうのは、「労働者」意識が生み出していることばのようにも感じます。
「聖職者」に対して、「激務」なんてことばはあまり使いませんよね。
だから、「激務だあ」と叫んでいる以上は、労働者として仕事にたずさわっているんだな、とぼくは考えます。
労働時間や労働条件を気にするのは当然ですね。
そう言っている、ぼくも実際は気にします。
でも、その時点で「労働者」感覚なんだろうなあと感じるわけです。
だからこそ、目指すは「聖職者」になっちゃうんですよね。
もともとの感覚が「労働者」だと、
かりに、仕事量が軽減されたとしても、ほかの不満が生まれてくるでしょう。
「労働者」意識が強い人ほど、自問する方がいいのかなあって思います。
「自分がやりたいことは何?」って。
ぼくも時々そうしています。
「なんか煩雑な仕事(役職等)だなあ~」って思うとき。
「自分が一番やりたいことは何?」って自問します。
そうすると結局、ただ単に「その仕事が嫌なだけ」で、ほかにやりたいことが明確にあるわけでもない。
あるいは、「この方法がベストだ」という代案があるでもない。
ってことに気づかされることもしばしば。
フレッシュな気持ちで教師の道についたはずなのに、ベテランになると陥りやすい所。
でも、それでは何においても務まらないんですよね。
「なんだ、ぼくはただ単に、仕事が嫌だっただけか。明確なビジョンがあるわけでもないじゃん。だったら、目の前のことを懸命にやろう。」
という考えにたどり着きます。
めんどくさいとか、嫌だという「気持ちが出ている人」もいます。
でも、それはなんか違うじゃろー
って感じます。
教師「聖職論」は支持されない
教師は「聖職者」か。
教師は「労働者」か。
そもそも「聖職者」というのは、
年から年中、ごはんのときも、寝ているときも、何をしてても24時間「聖職者」であって。
労働しているときだけに、言われる呼び方ではないですよね。
勤務時間内だけ「聖職者」って変な話ですもんね。
現代の教師は「労働者」的な視点で見ることが多いです。
世間も教師自身も全体的に「労働者視点」です。
「労働者」と「聖職者」を結びつけると解決できない論争が生まれます。
元々、同じ概念で比べられないものです。
ってなりますもんね。
学校の先生に残業手当がつかない理由に、
「給特法の教職調整額4%がついているから」という考え方がありますが。
「聖職者」だからという考え方もあります。
「聖職論」を支持すると、たぶん反発が生まれます。
理由は、賃金や労働条件との矛盾が生まれるからです。
なんて。。
まあ、そうなる人もいる。
当然ですよね。
さて、ぼくの結論は「聖職者」を目指すこと
なんですが、
もう一歩ふみこんで言うならば、
教師は「聖職者」だ、と他人からつべこべ言われると、言われた方はなんだか違う気がしてくる。
ぼくもそう思うと思います。
(「教師は聖職者たれ」なんて、テーマでブログを書いてる僕が言うのも何ですが。。)
だから実際は、
人から言われずに「聖職者」に成っていくこと。
なんだろうな、って思っておるんです。
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教師の「成功」って何?【どこを目指せばいいの?】まとめ
教師が、「聖職者」か「労働者」かという問題の答えは自分で決めるしかない。
そして、「教師」の成功についての答えは「人」によって変わる。
自分で行く先を決めるしかない。
子どもの教育者として根底にはもちろん、「子どもの健全な成長と、幸せを感じる未来へ一人でも多く」、という思いがあります。
結果はすぐには見えにくいですが、
子どもの成長というのは、計り知れないもんです。
だからこそ、あまり損得勘定せずにたずさわってるのかなあと思います。
やれ、労働時間とか
やれ、勤務時間外だとか。
それは、あまりにも目先のものしか見てないのでは。
と口には出しませんが、心の底では思います。
(書いてるけど。。)
教師自身の生き方や、マインドセットによって、
「聖職者」として生きている人もいるだろうし、「労働者」として生きる人もいるでしょう。
そして、それを他人や社会から
一定のフレーム内(聖職であれ労働であれ)に収められるものでもないと感じます。
ですので、本稿はあくまで一個人の私見です。
「どっかの誰かの私見を何かで側聞した」、程度でとどめてもらえると幸いです。
断じて、おしつけがましい「聖職論」とは異なりますので。。笑
あしからず。
教師の「成功」とは何か、あなたはどう考えますか?
どこを目指していますか?
おしまい
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